初めて身内の死に触れて感じた無常〜5歳ながらに悟ったこと〜

 はじめて身近な人の死に触れたときに感じた日

 それは冬山で仕事をしていた祖父の滑落死。

 

 当時、保育園に通っていた私は、いつもの時間に親が迎えに来ず、一時間くらい遅くなり、母が迎えに来てくれて、やっと迎えに来てくれたと思った。

しかし保育園を出ると、いつもは車で迎えに来ているが、今日は違う。

これは何かいつもとは違う、と感じた。

そのまま歩いて駅に向かい、電車に乗る。おじいちゃんが救急車で運ばれたから、病院に行くということは多分告げられた。

病院先に行くと、夕方だったので、自分が知っている患者さんであふれている病院の光景とは違い、しーんと静まりかえっている。

 

2月の中旬。林業をしていた祖父は足を滑らせて、滑り落ちたそうだ。

一緒に仕事をしていた人が救急車を呼び、意識はない。先に祖父の妻である祖母と息子である父は病院に駆けつけたらしい。

 

薄暗い、静かな廊下で何時間も待っているが21時を過ぎ、いとこのおじさんが遅いからと言って、祖母や父は病院において、母と私、1歳の弟は今夜は帰ろうと家に帰宅。

翌日、朝起きると、亡くなっていた。いつ遺体が自宅に運ばれたのかは覚えていないが、どんどんいとこ家族が自宅に集まってくる。まだ死というものがわかるようなわからないような頃だったが、いとこと会えるのもちょっとうれしさはあったが、みんな私より何歳か年上だったので、事の事実を私よりは悟っている印象にみえた。

また田舎で比較的広い家だったので、通夜、葬儀は自宅で行った。家族や親戚中が泣いている姿を見て、不謹慎かもしれないが、なぜ泣くのだろうと思いながら、ここは泣く場面なんだな・・・と捉え、合わせたらいいのかなと違和感を感じながらも泣いてみようと思った。。

 

葬儀が終わってからも祖母は落ち込んでおり、亡くなった日の朝のことがいつもと変わらない中で、唯一違ったというのは仏壇にあげた線香がその日は消えてしまったと話すことが何度かあり、死が訪れるときは何か前触れのようなことは起きるのかな・・・と祖母の話を聞きながら、一人で考えた。

また、みんなまだ雪が氷になっているような日に出かけたこと悔やんでいたが、何か死を迎えるにも何か理由があるんじゃないか・・・と周りには言えなかったけど、そんなことを感じていた。

60歳過ぎたばかりで体力仕事をするくらい元気だったが、あっという間にこういう日が訪れるんだな、、と感じる。今は父がその年齢を超える。。

 

いつ何が起きるか人生って分からないんだな、とはじめて触れた死、身内の死から違和感と無常感を感じた。